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【インタビュー】国内コンペティション『岬の兄妹』片山慎三監督
『岬の兄妹』
片山慎三監督インタビュー
――まず、今回の作品はどういった経由で生まれてきたものなのでしょう?
27歳ぐらいの時に書いた脚本があって。それがベースになっています。この脚本はずっと映像化したいと思っていて、最終的に主演を務めることになる松浦(祐也)さんと、撮影の池田さんに話をしたら、「やろうと」なった。その当初の脚本ですけど、簡単に言えば、キム・ギドク監督の『悪い男』のような話で。男女のどちらかに障がいがあって、屈折した形でしか愛情を示せない男と、その男に人生を翻弄されていく女みたいな話でした。ただ、どうもしっくりこない。話し合いを重ねていく中で、「これは兄妹の話にしたらいいんじゃないか」と。撮影を始めることはすでに決めていて、そう話がまとまったのが予定の3か月前(苦笑)。とりあえず1年の話にしたい構想があったので、冬のパートとしてとろうとなりました。ここがスタート地点。この時点では、物語が今後どうなるか、どういう最後を迎えるのか何も決めていませんでした。ある意味、見切り発車で始めた感じです(笑)
――片山さんは助監督としてのキャリアが長い。さまざまな映画の現場を経験してきたと思うのですが、今回、あえて自主制作で自身のオリジナルでいこうと思った理由は?
実は、ある作家さんの小説が好きでどうしても映像化したいと思っていたんです。プレゼン用に40分のパイロット版まで作った。でも、話をもっていたら、著作の関係やら出版社と映画会社の絡みやらいろいろあって、話がまったく進まない。それで、もう自分が映画を作るとしたら、オリジナルをやるしかないと思ったんです。2012年ぐらいだったと思います。あと、いまの日本映画はけっこう制約が多い。ロケでもあれができないこれができないとなるし、基本的に俳優のスケジュールに合わせるので、どこかで制作に無理がでる。そういうことが全部分かっていたので、自分の発案した企画で自分ですべてをコントロールしないと、自分のやりたいことができないなとも思ってました。
――助監督を長くやっていると、監督から重宝されたり。実入りもよかったりするので、有能な助監督ほど、なかなか監督へ踏み出せなくなるという話もよく聞きます。
確かにそうなってしまう人も多いですけど、僕は監督をやりたかった。これは映画を志したときからずっと変わりませんでしたね。
――そうしてはじまって1年かけて撮っていった?
ええ。冬から始まって、春、夏、秋、そして再び冬とかけて。兄妹の設定にしたところで、もう『悪い男』のような内容もとんじゃって、結局、ストーリーも原案は捨てて。1から作り直しました。
――物語は、足に障がいのある兄の良夫と、知的障がいのある妹の真理子が主人公。二人は良夫の稼ぎでなんとか暮らしている。でも、良夫が仕事をクビになって立ちいかなくなった結果、妹に売春をさせて生計を立てようとする。底辺でもがく人間の必死のサバイバルが描かれているのですが不思議とそこに悲壮感はない。むしろユーモアをもって彼らを見つめることで、人間の生命力とその輝きが際立ってくるような気がしました。
なにごとも品行方正で真面目が求められる時代ですから、この監督は「底辺で生きる人間をこんな描き方をして」と思われるかたもいると思います。ただ、「弱者」を「弱者」と決めつけるのもどうかと思うんですよね。悲惨さや窮状を訴えるものを僕は否定しませんけど、そこにある別の側面、ポジティブな部分に目を向けてもいいんじゃないかなと。だから、この作品はシビアな重苦しい内容にはしたくなかった。あくまで題材は重いけど、兄妹をみていると愛しくてほほえましくなるようなものにしたかった。
――確かに物議を醸す内容が含まれていると思います。一般的に見れば、兄が妹に売春をしむけるというのは不謹慎で許されるものではない。でも、そうせざるをえない状況が二人にはある。彼らの生き方と選択を我々は否定していいのか?と思うんですよね。
実はある障がい者の犯罪についての統計などをまとめた本があって、そこからヒントを得ています。だから、あながちこの作品で描かれていることは絵空事ではない。そういう現実があるということをベースに創作しています。まったく架空の話ではないことは言いたいですね。あと、裏テーマとして、「生」と「死」があって。例えば真理子はお母さんが死んでいるんだけど、それがわかっていない。それをあるとき、理解することになる。一方で、彼女は妊娠して出産。生命の誕生の瞬間にも立ち会う。なんか今の時代に、「生」と「死」を実感できる作品になればとの思いがありました。
――良夫役の松浦さんとは知り合いだったということですが最初の出会いは?
確か『マイ・バック・ページ』だったと思います。そこから交流が始まって親しくなって。
――その過程でこの良夫役は松浦さんでないとと
そうですね。こういうどん詰まりの人間は、松浦さんというのがありましたね。『苦役列車』の撮影時、リハーサルで森山未來君がこれなくて、松浦さんが代役を務めたときがあったんですけど、これが抜群に面白かった。こういうクセのある役は似合うなと思ってました。
――一方、妹の真理子役の和田光沙さんもすごいですね。現在公開中の瀬々敬久監督の『菊とギロチン』(18)では女力士役に挑戦していますけど、ここでも体当たりの演技を見せてくれています。
真理子はすごく人物造形から悩んで、ドキュメンタリー映画の『ちづる』を参考にしたり、実際にボランティアで障がい者施設を取材させていただいたりして固めていったんですけど、この難役を演じ切れる人がいるかなと。それでオーディションをしたんですけど、和田さんがすごくよかった。真理子になにより求めたのは生きる力。和田さんは一切悲壮感がなくて、逆に躍動感にあふれていた。それで和田さんで行こうと決めました。実際、その通りで、真理子を体現してくれたと思います。
――松浦さんが演じる良夫にしても、和田さんが演じる真理子にしてもキャラクターとしては濃い。ともするとこういう人物は、演技の質が過剰になっていきがちです。でも、この二人に関しては、そうしたところがない。いい意味でキャラクター化しないで、ひとりの人間としてそこに存在しているようにみえました。
そこはちょっと気をつけたかもしれません。どうしてもこういったキャラクターを演じていくと演技も濃くなってへんな芝居がかったものになってしまう。それは求めていなかったので、演技を如何に抑えるかは考えていましたね。ただ、撮影自体がほぼ行き当たりばったり。脚本もあってないようなもので。現場に行ってみて、その場にあるものをどんどん取り入れてやってみるスタイルでした。二人からがその場で感じてダイレクトに出てくるものを大切にしたかったから。それが一番、自然でいいと思うんですよね。結末こうだからと計算して演技をされてしまうのは嫌で。僕としてはその場で感じたままのリアクションがすべて。その瞬間が、兄妹らしくさえ見えていたらOKだったんです。まあ、ただ、役者としてはどう物語がどう転んでいくか不透明で不安だったでしょう。よくやってくれたと思います。
――そんな行き当たりばったりの撮影だったんですね。これまでされてきた助監督の仕事は段取りを徹底させて現場をスムースにいかに運ぶかが重要だったりするのに。
そういったことすべて無視ですね(笑)。振り返ると、何度も同じ場所に足を運んでいる。通常ならば1度にまとめてとるようにする。でも、その後のシナリオがなかったのと時間的な余裕が欲しかったので何度も同じ場所に行って撮影することになってしまいました。
――立ちいかなくなるかもとは思わなかったんですか?
なんか過去の経験値からなんとかなるだろうと思ったんですよね。
――プロフィール的なところもお伺いしたいのですが、監督を目指すきっかけは?
本当は漫画家になりたかったんですけど、14歳のとき、自分より絵がうまい同級生に出会いまして「これはダメだ」と。それでどうしようかなと思って、当時から映画が好きで、映画ならひとりで作るわけではないので、自分でもいけるんじゃないかと思ったんです。当時はハリウッド大作や、ジャッキー・チェンの映画をよく見ていましたね。
――その後、どういったルートをたどって映画業界へ?
最初は映画の専門学校に行こうとおもったんですけど、学費が高くて手がでない。それで調べていたら、映像塾というのが高田馬場にあって。白石和彌さんも通っていたんですけど、ここなら30万円ぐらいで働きながらいける。それで1年間、真面目に通って、作品を撮ったりして、その流れで撮影の現場を紹介してもらいました。最初に入った現場は、廣木隆一監督の作品で。たしかBSのドラマだったと思います。
――そこから人脈を広げていった?ポン・ジュノ監督の作品に参加することになった経緯は?
知り合いの韓国人の助監督がいて、『TOKYO!』のポン・ジュノ監督パートに呼ばれたんです。それで僕がポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』が好きだと話していたことをその助監督が覚えていてくれて、話がきて。その流れで『母なる証明』へとつながっていきました。ポン・ジュノ監督の現場の経験は大きくて、学ぶことが多かったですね。
――山下敦弘監督作品への参加は?
韓国から帰ってきたら、知人からきちんとした映画の現場だからと進められて。それが『マイ・バック・ページ』で、そこから続けて何本か入ることになりました。
――これまでさまざまな監督の現場を踏んでこられたと思うのですが、その経験が現れているところはありますか?
撮影に入った当初は、できるだけついた監督と同じようなカットはとらないでおこうと、気をつけていました。でも、知らず知らずのうちに同じようなカットを撮っている。それで、いくつかのシーンは撮り直しました(笑)。ほんとうに無意識に似ちゃって。やっぱりこれまでの経験がでるもんなんだなぁと思いましたね。
――念願だった初監督作品が完成して、今どんな思いが?
どうなんですかね。いまはただ、この作品をきっかけに、少しでも次回の作品が撮りやすくなってくれたらなと。今回の上映を含めて、いろいろな人に観ていただいて、つぎにつながってくれたらなと思っています。きわどい内容を突いた作品ですけど、ひとりでも多くの人にみてもらえたらうれしいですね。
(取材・文・写真:水上賢治)