ニュース
【インタビュー】国内コンペティション『あの群青の向こうへ』廣賢一郎監督
『あの群青の向こうへ』
廣賢一郎監督インタビュー
――今回の『あの群青の向こうへ』は長編2作目ときいています。前作の長編1作目について少しお話しをうかがえればと思うのですが?
大学に入って、20歳のときに撮りました。完全な自主映画です。自分でカメラを回して、照明や録音など、なにからなにまで自分で(笑)。スタッフは僕ひとりだけ。あとは出演者のみ。普通なら座組を組むと思うのですが、組みたくても仲間がいませんでした。ただ、映画は作りたい。その想いだけで作った作品です。内容としては、人間の割り切れない感情を見つめたもの。自分の愛した人が自分にとって最も憎むべき人間だったら?といったテーマで。刑務所から出てきた男が、ある女性を愛する。ただ実は、彼女は自分が自動車事故で命を奪ってしまった相手の元婚約者で。男が自分の中で自らの罪と向き合っていく。そういった物語でした。
――そして2作目の今回に進むに当たって考えたことは?
3つありました。まず1番はとにかくまた映画が作りたいという自分の衝動。2番目は、はっきり言うと、前作はめちゃめちゃ悔しい思いをしました。大学に入って長野から大阪に出たんですけど、いざ映画を作ろうと思ったら、仲間ができない。映画スタッフを目指す人間の育成やアドバイスをしている場にも何度も足を運んだんですけど、誰も手を差しのべてくれない。仕方ないから僕ひとりで見よう見真似で始めたんですけど、当然段取りも悪いし、うまく進まない。裏方仕事で手一杯だと出演者とコミュニケーションもうまくとれなくなる。すべてが悪循環で出来上がったものは反省点だらけ。いろいろと甘いとこがあるし、到底みられるような代物ではなかった。見せた友人たちからはめちゃめちゃな言われようをする。この経験を次に生かさなければと思いました。3番目は、ほかの同世代の監督たちが大学出身で修了制作作品などで受賞して、次のステップに進んでいく。一方で、自分には何も起こらない。この違いはなんなんだと。それで1度、自分の全財産を投入して、ある意味、人生を賭けてやらないとダメだと。そして、多くの人を巻き込んでやってみよう。それで、もし商業映画の監督に自分が将来なることができたら、絶対にそこでは撮れないものを撮ってやろうと思いました。
――ある意味、自分の決意表明を示す1作
そうですね。自分のこれまでの人生経験で根幹をなしているものを出そうと。なので『あの群青の向こうへ』は私小説的なところがあります。自分の撮りたいもの、自分の求めるものを存分にやり切りたいと思いました。
――前回からの反省点を踏まえて、どうやって体制を作っていったのでしょう?
まずは情報収集から始めました。前回は仲間集めを失敗したので、なんとか手伝ってくれる人がみつからないかなと、映画関連のいろんな交流会に参加しました。その中で、大阪のハラキリ フィルムズという自主映画の制作チームの存在を知って。連絡を入れてみたら、丁寧にいろいろと教えてくださり、役者のこととか、予算の組み方とかいろいろとアドバイス
をいただきました。それで『あの群青の向こうへ』に取り掛かりました。
――脚本はすでに書き上げていた?
前作から1か月後には書き上げていました。前作が試写会とか終わって、ひと段落ついたのが確か2017年の3月ぐらい。それでいろいろと悔しいことがあって(笑)。その悔しさをぶつけるように初稿を4月ぐらいには書き上げていました。
――その脚本が描くのは、未来の自分から1通の手紙「ブルーメール」を受け取ることができるようになった近未来の世界。ちょっとした出会いを果たした青年のカガリと家出少女のユキがともに未来を見つめて東京に向かい、そこで自ら越えなければならなかったひとつの現実と対峙する。アイデアの出発点はどこから?
まず、自分の人生についての映画にしようと思ったのですが、考えているときにまず浮かんだのは、女の子を主人公にしたいなと。女子高生なんだけど、理由があって学校に行くことができていない。実際は高校生ではないのだけれど、セーラー服をふだんから着ている。そんな女の子を中心にした映画に作りたいなと。そのままユキになっているんですけど。その女の子の置かれた状況って、どこかなりたい状況になれていない自分と重なるところがあって、そこから話をひろげていきました。
――ストーリーを広げていく中で、どういったことが盛り込まれていったのでしょう?
さっき言ったように自分の人生についての映画にしたかったということで、自身の体験を外すわけにはいかない。僕はいまも忘れることのできない悔やんでも悔やみきれない経験を過去にしています。詳細はあまり話したくないんですけど、死んではいないのですが、ものすごく大切な人を失った経験があって。その人のモノの考え方や過ごした時間が今の自分に大きな影響を与えている。実は、映画を撮ることを諦めた時期があったんですけど、その人を失ったからこそ、また始めたところがある。その記憶をちょっと脚色して違う形のエピソードにして、自分が将来忘れないために刻んでおこうと思いました。あと、いま漠然とですが僕は人生に対してすごく不安を抱いている。目標とするプロの映画監督になれていない自分がいて、実が現在大学を休学中で……。同期の友だちが今年の4月から社会人となって働いている。なので、どこか乗り遅れた上、取り残された感覚があって。例えばプロの野球選手を目指すなら素振りをするとか、毎日鍛錬を積む目に見える努力の仕方があると思うんですけど、映画監督はそういう鍛錬の積み重ねがあるわけではない。アイデアをもんもんと考えてなにも浮かばない日があったりすると、なんかなんの手ごたえもなくて不安が襲ってくる(笑)。そうした自らの不安を素直に表現したいなと。ブルーメールはそういう気持ちから生まれている。未来の自分から「元気か、頑張れ」ときたら、なんかもうひと踏ん張りできるんじゃないかなと。東京を目指す場所としたのは、ひと言でいえば、自分の夢のメタファーです。ラスト・シーンはあまり明かせませんけど、最初に決まって、見てくださった方へのエールでもありますが、自分自身に対してエールを送っています。
――ほかにもなにか自身が反映されている点はありますか?
映画に関することも、自分が影響うけたことを包み隠さずに出しています。僕は岩井俊二監督の作品が大好きで大きな影響を受けています。この作品は『リリィ・シュシュのすべて』のような感じが出せたらいいなと。そのオマージュを1シーンいれています。
――男性監督で女性を主人公に撮ることへの躊躇いみたいのはなかったですか。若い監督ですとたいがいまず自分も理解できる男性を主人公に撮ることが多いのですが。
躊躇いはまったくなかったですね。むしろ繊細な女の子を撮ってみたいなと。ちょうどその頃、たまたま松本花奈監督の『脱脱脱脱17(ダダダダセブンティーン)』を映画館で見て、17歳の女の子の物語なんですけど、自分より年下でこんなすごいの撮れちゃうんだと驚きました。その影響も今回の作品には反映されています。
そもそも、僕はけっこうヒーロー的な女性が活躍する映画がわりと好きで。デヴィッド・フィンチャー監督の『ドラゴン・タトゥーの女』のルーニー・マーラとかすごく好きですね。もしかしたら男性に対して、かっこいいと思うより、女性のほうがそう思うケースが多いかもしれない。女性をかわいくじゃなく、かっこよく撮ることに興味があるのかも(笑)。
――今、完成してどんなことが思い出されますか?
今はあれ以上のことはできなかったと。そのときのすべては出せたと思います。ただ、ひとりの映画ファンとして客観的な視点にたってみると、まだまだ未熟な作品だなと思いました。原因として考えられることはいくつかあるんですけど、ディレクションから車両、撮影、照明とすべて自分で。あまり前回と制作の状況はかわらなかった。それでも、もっと現場で柔軟に思考も体制もかえることはできたんじゃないかなと。ただ、助監督と制作はとても仲の良い信頼できる友人が、録音にはプロが入ってくれて、ロケがはじめってから2人が全般のことで入ってくれていろいろとフォローしてくれた。彼らがいなかったら完成できていたか怪しい。なので、最大限の協力をしてくれたスタッフには感謝しています。
――前作から格段にステップアップできたと。
そうですね。ほんとうに前回は経験値がほぼないところから始めましたから。そもそも、前作も当初は、まったく違う内容の映画を作るはずだったんです。当初はCGを使った作品にしようと思っていて。山﨑貴監督に大笑いされたんですけど、イマジカに見積もりを出してもらおうと連絡した。それで出てきたのが1000万円(笑)。いかに自分が無知だったかわかりますよね。でも、どうしても映画が作りたい。そこで前にストックしておいた脚本に手を加えて3日ぐらい書き上げて、それで作った。ほんとうに勢いだけで作ってしまった感じでした。ただ、あとで気づいたんですけど、その当初思い描いたCGの作品も、前作も今回の『あの群青の向こうへ』も大切な人を失った経験と後悔が根底のテーマにある。自分の視点はずっと変わっていなかったのかもしれません。
――ではプロフィール部分で映画監督の道を歩もうと思ったきっかけは?
中学生になるまではさほど映画に興味はありませんでした。中学に入ったある夏休み、親に内緒でみた映画『フォレスト・ガンプ』が強く印象に残って、そこから映画を毎日1本はみるようになって。いつか自分も映画に携わる仕事ができないかなと思い始めました。ちょうどそのころ、親からデジタルカメラをもらって、動画をとるようになって、その映像をパソコンに入れてムービーメイカーとかでつなげたら、なんとなく映画っぽくなって、映像を作ることにのめり込んでいきました。その後、高校に進んだとき、入学祝で一眼レフカメラをプレゼントしてくれて、作ったものを地元の商店街の映画祭に出しました。『さるべきにやありけむ』という短編作品なんですけど、これがその映画祭で準グランプリになって、しかもスクリーンで上映された。この経験は大きくて、いつの間にか監督を目指すようになっていましたね。前でお話ししたように日本だと岩井俊二監督、海外だとガス・ヴァン・サント監督がすごく好きです。
――今回の入選どう受けとめていますか?
もちろん入選を目指しての応募ですけど、正直なところ落ちると思っていたので、入選ときいたときは言葉がなかったです。素敵な映画祭だと知人からきいていたので、今は上映されることがほんとうにうれしい。会場でどんな反応があるのか楽しみと不安が半々ですが、いい経験になればと思っています。
――これからどんな映画を作っていきたいですか?
映画作りにかける情熱は誰にも負けていないつもりです。いままで自分がつらいときや悲しい時、多くの映画に励まされ、支えてもらった。そういう映画を作っていきたいです。
(取材・文・写真:水上賢治)