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【インタビュー】国内コンペティション『情操家族』竹林宏之監督
『情操家族』
竹林宏之監督インタビュー
――『情操家族』は東京藝術大学大学院映像研究科の修了作品になりますが、まずはそれ以前のお話しを。そもそも映画批評の方を目指されていたとお聞きしたのですが?
中学ぐらいのころ、映画にのめりこみました。きっかけは友人関係でいろいろとあって、学校も休みがちになったときがあって、自然と文化的なものに逃避していったというか。興味をもって、見るようになりました。映画は(フランソワ・)トリュフォーの作品をみたことをきっかけに、よく見るようになっていって。そのうちに山田宏一さんの本とかを読み、それを参考に本書で触れられた映画を観るようになっていきました。その流れでいろいろな方の映画批評も読むようになっていき、大学進学が視野に入ってきたとき、明治学院大学で、四方田犬彦さんが教鞭をとられているということで、そちらへ進むことに決めました。
実際に入学してみると、映画研究や映画批評の世界も実に奥が深い。本気で映画を学問として取り組むならば、英語はもちろん、フランス語、ドイツ語もマスターしないと話にならないと言われて、正直「自分には無理かも」と思いましたね。
――では、批評から作る方へと意識が変わったのはいつぐらいでしょう。
大学で映画研究会に入ったんですけど、その中に、東京藝術大学大学院映像研究科を受験するという先輩がいた。その方が『情操家族』の脚本を担当していただいた今橋貴さん。その今橋さんが藝大受験用に制作する作品を手伝うことになったんです。正直なことを言うと、それまでサークルで作られるもので「いい」と思えるものがなかった。でも、今橋さんの現場は発見があったというか。雑用係でしかないんですけど、現場で「こういう画がとれちゃうんだ」とか「こんなシーンなっちゃうんだ」といった日々発見がある。
たとえばサークルのほかで作られたものは、そのアイデアや理想とするところ、目標はすばらしい。でも、具体的に映像にしたとき、そこに到達しないから実際の作品になったとき、大きな隔たりが生じて、見掛け倒しで終わってしまう。対して、今橋さんと仲間のスタッフは、自分たちでやれる方法を模索して、それで最大限におもしろいものにしてやろうといった感じで。俳優も学校の友人の寄せ集めで、描くことも平凡な日常だったりするんですけど、なにか特別なものに引きあげられる。当初、想定していたシーンが、それよりもいいものになっている。結果として目標とした形と実際に撮れたものに隔たりがない。密着して飛躍している。それが衝撃でした。あと、当時、ジャ・ジャンク―監督やホウ・シャオシェン監督の影響で長回しで撮っていたり、スタッフもああだこうだといいながら楽しく作業をしているのも印象に残りました。映画作りって楽しいもんだなと。
――では、そのあたりから作る方を志すことに?
そうですね。これを経験してから、批評よりも映画を作る面白さのほうが勝っていった気がします。それで今橋さんの影響もあって、自分も東京藝術大学大学院映像研究科への進学を目指すことになりました。
――それで実際に東京藝大に進まれて、修了制作として生まれたのが『情操家族』になります。
この作品のプロットは藝大に入る前に、自分が書き上げたものでした。それで修了作品を作らなければならないとなったとき、これをやりたいなと。ただ、書いてからけっこうな時間が経過していたので、リライトしようとおもって手を加え始めたんですけど、いまひとつ自分でもいい脚本にブラシュアップできない。突破口が見つからなくて、今橋さんにちょっとみていただいたんです。すると、原案は息子の三四郎を主人公で書いたものだったんですけど、今橋さんは「これ、お母さんを主人公にしたほうがいいんじゃないか」と。山田キヌヲさんに演じていただくことになる小学校教諭の今日子ですけど、教育者としての立場と母親としての立場で、どこか矛盾を抱えているはず。そのあたりにフォーカスしたらおもしろくなるのではないかと。それで今日子を主人公にしたら、今橋さんのアドバイスがずばりで、いろいろなアイデアが出てきて話がふくらんでいった。それで最終的に脚本は今橋さんにお願いしました。
――それにしてもこの今日子は、ぶっとんでいるというか。すごいヒロインに仕立てましたね。日本の映画において、ああいう歯切れがよくて毒舌をはくこういう女性はあまりみかけたことがありません。
そうなんです。周りのスタッフからも「この人、絶対に好きなれない」とか不評で。映画の主人公としてふさわしくないとかいわれて、「大丈夫、成り立つ」と説き伏せるのが大変でした(笑)。僕としてはこの人物は絶対に目が離せなくなる。映画において信頼のおける人物と思っていたんですけど、確かに脚本上の字面だけで判断すると、むちゃくちゃ腹黒いこと考えていたりするので、嫌悪感を抱いてしまう。でも、僕としては最終的に納得してもらえる魅力的な人物になると信じていました。
――物語は、前半、今日子の順風な日々が描かれる。小学校教諭の彼女は学校では学習の遅れた生徒の面倒をみたりする親にとっては親身になってくれるいい先生。家庭でも高校生の息子になにかと世話を焼き、いい母親であろうとしている。ところが後半になると、傍から見ると順調だった彼女の教師生活と家庭生活にほころびが出て、ガラガラと崩れ落ちていく。そこから今日子が制御不能になって、これ振り切るとサスペンスにもできる脚本なんですよね。それをホーム・ドラマとして成立させている。アメリカ映画だとこういう最後は本音がむき出しになって毒をはきまくるお母さんや教師ってとりたてて珍しくもなくて、ブラック・コメディとして成立する気がする。でも、日本の従来のホーム・ドラマのトーンだと、なかなか難しい。個人的にブラックなホーム・ドラマを日本でやるとすると、この線がギリギリなのかなと感じました。
確かに、ヒロインが猪突猛進していく様は、ストレートな物言いで僕らもアメリカ映画的という話はしていたんですよね。ただ、今日子をそういったわかりやすい人物にはしたくなかった。悪人、善人で割り切れないところに立たせたいなと。そうすれば、あまりないタイプのホーム・ドラマになるんじゃないかと思ったんですよね。
――そうした異色さはあるんですけど、細部にはリアリティがある。自分の経験としても今日子のような性格の先生は確かにいるんですよ。たぶんお母さんとしても、知り合いの子をもつ母親がみたら、「こういうママ友いる」と言うと思う。だから今日子は確かに特異な人物なんですけど、まったく見かけない人物でもない。親近感は抱けないかもしれないけど、「確かにいるよな」と思える人物になっている気がします。
それもこれも演じていただいた山田さんの力が大きかったと思います。山田さんじゃなかったら成立しなかったかもしれない。僕も、「そこ怖くなりすぎてます」とか、「そこはもうちょっと諭すような物言いで」とか細かく注文をしていったんですけど、その都度、きっちり演じてくれて、今日子になってくれた。なにより、山田さんが今日子を深く愛してくれているように感じられて、どこかの地点からはもう大丈夫と思いましたね。
特に印象に残っているのは、離婚を決めた生徒の両親を諭すシーン。このシーンは見てもらえればわかるんですけど、感情の浮き沈みが激しくて。今日子はものすごく怒ったかと思うと、次は冷徹になって両親をなだめたり、お菓子を食べながら自虐的にすねたりと、コロコロと変わっていく。自分でも無茶苦茶なシーンだなと思ったんですけど、山田さんならやってくれるだろうと思ったんです(笑)。正直、僕はどう指示していいか言葉にできなくて、なんか要領をえないこといったんですけど、山田さんはひと言「わかった」と。そうしたら、僕の想定していたことをはるかに超えるところにいってくれた。あのシーンをみたとき、俳優さんの力ってすごいなと思いましたね。
――今日子役は当初から山田さんを?
そうですね。やっていただけるなら山田さんと最初から思っていました。映画やドラマを拝見して、間違いなく今日子は山田さんならやり遂げてくれると思ったので。
――ほかにも韓英恵さん、川瀬陽太さんという日本のインディペンデント映画を支える実力派の役者さんが出演されています。
ほんとうにキャストはすばらしい方々が集まってくれました。なにせ僕は新人監督でめちゃくちゃな演出も多かったと思うんですね。でも、みなさん、辛抱強く僕と向き合ってくれて、ほんとうに未熟な演出だったと思うんですけど「こんなに返してくれるのか」っていうぐらいの演技をしてくださった。みなさんのパフォーマンスで改めて映画作りの醍醐味を味わった気がします。
――初の長編映画を作り終えてみて、なにかこれまで観てきた映画から影響を感じる瞬間とかありましたか?
ダルデンヌ兄弟の映画がすごく好きで。彼らの映画に登場する人物は、例えば『ロゼッタ』とかめちゃくちゃなヒロイン。猪突猛進型で失敗を繰り返す。生きることに必死な彼女に同情の余地はあるけど、僕はちょっと共鳴するにはいたらない。そんな僕にとっては不得手な人物だけど、異様な説得力をもってこちらに迫ってきて、忘れられない存在になっている。そういう人物が現れる映画が自分はやりたかったのかなと、後になって気づきました。
――長編デビュー作ですでに昨年の<ぴあフィルムフェスティバルPFFアワード2017>、<TAMA NEW WAVE>のある視点部門でも上映されています。今回の入選はどう受け止めていらっしゃいますか?
まず、僕は『情操家族』という作品を撮るまでは、映画祭に入選する経験がまったくありませんでした。ですのは、まずは僕の作品に心をとめてくれた人がいたことを嬉しく思います。
あと、この映画の主人公の今日子は、実際にいたら、近づきたくはないけど、なぜか気になってしまう。最初は嫌いだったけど、いつの間にか好きになってしまうタイプの人間だとと思います。もしかしたら、そういう人物こそが何かを変える可能性とパワーを持っているのではないかと、僕は考えています。ですので、普段はあまり関わらないかもしれない、けれどおもしろそうな人に出会うような気持ちで、会場に足を運んでいただけたら幸いです。
(取材・文・写真:水上賢治)