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【インタビュー】『朝の火』広田智大監督

――「朝の火」は、平成から元号が令和へと変わることを告げる官房長官の声が入っていることから、否応なく平成の終わりであり令和の始まりを感じさせるところから始まります。

 

この映画は2019年、平成最後の3月に撮影をしました。なので5年ぐらい前に撮影はすでに終了していて、本来はそのあとすぐに完成させるつもりでした。ただ、諸事情が重なってここまで時間を要することになってしまいました。

 

作品の出発点は多摩美術大学映像演劇学科在学時の恩師である青山真治監督に見てほしかった。その思いだけで始まりました。

 

高校卒業後、多摩美術大学映像演劇学科へ進みました。大学二年生のときに、青山さんが教授としていらっしゃって、そのときが初めての出会いでした。

教授と学生という関係というよりは、映画を作る仲間みたいな感じで接してくださる方で、おそらく出会っていなければいま映画に携わっていなかったと思います。

 

しかし卒業してから自分の映画を撮ることもできず時間だけが過ぎて行き、このままではいかんと思い、平成が終わる前に長編映画を作って青山さんに見てもらおうと、自分の中で勝手に決めて動き出しました。

©Tomohiro Hirota

――そこからどういった形で始まったのですか?

 

まず脚本にとりかかったんですけど、構想は数年前からあったのですぐに書き終えました。

初めての長編だったので失敗してもやりたいことをやろうと、気合いだけで走り出した感じでした。その脚本を手に、キャストやスタッフを直接当たって座組を作りました。

 

――作品は、ごみ処理施設焼却炉が舞台。そこで働く一切名前の明かされない主人公の男と、同僚のジロウ、パワハラ上司、そこに家族を失った女性が微妙に加わって、彼らの心が次第に何かよからぬことに蝕まれ、壊れていく様が描かれます。

 

人間の行動、表面的な部分を切り取って、隠されているものが見えてくるような、そんな映画を作りたかった。

 

親しい仲であっても心の底でなにを考えているのかは分からないし、それぞれが見えない事情や都合、ストレスを抱える中で、曖昧な関係性や距離感を保つための方法を持っている。衝動的な行動やその結果で物語がどう転んでいくのか僕自身も観るたびに楽しめるような、さまざまな解釈の幅を持った映画になればいいなと思います。

 

――この映画はいくつかユニークな試みをしています。いくつか聞きたいのですが、主人公に名をつけないことにしたのは?

 

すべての名前が当てはまるような存在で尚且つ『名前を呼ばれない人』として描きたかった。そういえば名前なんだったっけ、くらいの存在になればいいなと。ただ一応、資料上での区別としての名前は存在しています。

 

――ゴミ処理施設を舞台にした理由はあったのでしょうか?

 

ゴミ処理場には現代を生きる人々の生活の跡が流れ着きます。日々を共に過ごした家具やおもちゃが突然『ゴミ』という集合体になって積み上げられる。役目や意味を失った物体の集合体と生身の人間が入り混じるような空間に対して興味があったのかもしれません。

 

この映画の登場人物が毎日何を見ているのかを考えたときに、「意味のなさそうなもの」と共存していて欲しかったので、ゴミ処理場は僕の中で凄くハマりました。ただ個人的にそういった施設を訪れる機会が多かったというのも影響していると思います。

 

――あと、かなり研ぎ澄まされたショットといいますか。かなり考え抜かれた構図でいずれのショットも撮影されています。そのあたりでどのようなことを考えていたのでしょう。

 

カメラマンの鈴木余位さんと話し合って決めたのは、あくまで意識という部分においてですが、電源を切り忘れたカメラを傍らに置いたときに偶然とらえたようなショットを積み重ねようということでした。

 

誰かが意思をもってまわすのではなく、たまたまカメラがまわっている。単純なバストショットでも、きちんと正面からとらえていないというか。ちょっと違和感のあるショットになるように鈴木余位さんと話し合いながら、進めて行きました。結局は作為的なのですが、そういった視線を目指して撮影をしていました。

©Tomohiro Hirota

――それから登場人物がどこか全員無表情に見えるのですが?

 

「登場人物はまばたきをしない」とシナリオの冒頭に書いていました。どこか全員が同じ顔に見えてくるようにしたかった。しかしカットがかかるまでまばたきをしないように、と言っても我慢しきれずに最後はしてしまうので、その瞬間も演出としてあえて作品の中に残しています。

身体的に拘束される心地の悪さがお芝居にも滲み出ていて、俳優の方々はやりにくかっただろうなと思います。

 

――キャストについても少し伺いたいのですが、主演の山本圭将さんは昔一緒に住んでいたとのこと。

 

そうですね。彼の祖母の家が空き家になっていて、20代のほとんどをその家で過ごしました。彼は高校時代からの友人だったのですが、それぞれ多摩美術大学へ進み、彼は役者として、僕は監督として活動していく中で、初長編は山本圭将を主演で撮ろう、というふうに決めていました。

 

――ジロウ役の福本剛士さんも強烈なインパクトを残します。

 

彼は多摩美術大学の同期の役者です。この作品は彼の「目」が印象的で、とても重要な要素だと思っています。純粋で真っすぐな目をしているんです。

 

そこが、どこかひょうきんでわが道をいっているように見えるジロウにぴったりだなと思って、彼にお願いしました。

 

――少し話を巻き戻しますが、2019年に撮影して、本来ならばすぐに完成させるはずだった。そこから5年を要することになるのですが、その経緯を伺えますか?

 

はい。実は撮影してすぐに一度まとめたんです。ただ、尺が3時間半になってしまった。

 

ほんとうに初期衝動だけで突っ走って、その勢いのまま作って、当時は自分さえよければどんな作品でもいい、みたいに思考すら突っ走っていましたから、「これを見てみろ」ぐらいの気持ちで。その気持ちはもちろん今もありますが、度が過ぎていたというか、、、

 

ただ、現実問題として「こんな尺の映画では、そもそも上映してくれる映画館なんてないよ」という周囲の声も聞こえてきて。確かに人にみてもらわなければ、何もならないし、何も始まらない。

 

そこで反省して、最初はもうひとつ並行して進むパートがあったんですけど、それをすべて落として2時間にしたんですが、なかなかその決断をするまでに時間を要してしまいました。全カットになってしまった出演者の方もいたので、削ぎ落とす作業がとにかく辛かったと同時に、自分に対して情けない気持ちでいっぱいで、毎晩映画系の悪夢を見るような生活が続いていました。

 

――それを乗り越えて、完成へと動き出したきっかけは?

 

お世話になっていた青山さんが亡くなって1年後にお別れの会があって。そこに参加したときに、とよた真帆さんが『青山は生徒に対しても本当に気持ちを尽くしていました。教え子を含め、みなさんが創作を続けていくことが青山が掛けていた思いや気持ちが繋がっていってくれる、継承されていくのだと思います。是非今後も表現活動を続けていって欲しい…』といった主旨のことおっしゃられて。ふっと背中を押されたような気がしてそこで奮い立たされたというか。完成させなければならないなと思い動き出しました。

 

――そのような経緯を経て完成させた初監督作品が入選したとの報せは、どう受け止めましたか?

 

安心しました。入選したということは、少なくとも誰かがみてくださって、作品のことをいいと思ってくれた。この作品に寄り添ってくれる選考委員の方がいてくださった。そのことが何よりもうれしかったです。

僕は埼玉出身で、高校時代はよく川口に遊びにきていました。そんな場所で上映できるということで、いい時間になると信じています。

 

――ここからはこれまでのキャリアについて伺えればと。映画に興味をもったきっかけは?

 

振り返ると映画自体に興味をもったのは13歳頃『誰も知らない』を見てからです。それまでテレビの再放送で流れるアクション映画ぐらいしか見たことがなかったところで、偶然『誰も知らない』を見て映画というものの幅の広さに驚き、好奇心が芽生えた気がします。

高校時代に一度だけ映画の現場に行ったことがありました。そこで働いている大人たちを見たというのも大きかったのかなと思います。

 

――それで大学は、多摩美術大学映像演劇学科の方へ進まれた。

 

そうですね。何がしたいか分からないけど何かしたい、というような人が集まる学科でした。僕もその1人で、劇団に入ったり、映画を作ったり色々やっていました。

大学二年生のときに、青山監督が教授として新たにいらっしゃって、そこでまだ右も左もわからない生徒たちに組織として映画を作るということを教えていただきました。今思えばそのおかげで生徒たちはそれぞれの道や役目を見つけて今でも進んでいっている。

今回長編映画を作って、上映することができるというのも、この大学で過ごした時間と出会った人々に支えられた影響だと思っています。

 

『朝の火』作品詳細

 

取材・写真・文:水上賢治


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