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【インタビュー】『折にふれて』村田陽奈監督

――『折にふれて』は、京都芸術大学映画学科卒業制作作品。そのお話しに入る前に、村田監督が初めて制作した短編映画『水魚の交わり』について少しお伺いできればと思います。大学在学時の1・2年次に制作した作品で、SSFF&ASIA2022のジャパン部門に入選しています。

 

簡単に説明しますと、この作品は二人の中学生の別れを描いています。写真家の梅佳代さんが「新明解国語辞典」とコラボレイトした「うめ版 新明解国語辞典×梅佳代」という書籍があって、たとえばある言葉のあとに、意味が書かれて、梅佳代さんの写真が並べられている。といった形式のものなんですけど。

 

その故事の言葉「水魚の交わり」と並べられた梅佳代さんの写真からインスピレーションを得て、この作品は出来ました。

 

「水魚の交わり」は水と魚のように切っても切れない親しい関係を意味しますけど、梅佳代さんの写真は、大きな岩の後に 二人の男の子がたたずんでいるようなもので、それを見たときに、水は水だけで確かに存在できる。でも、魚は水が奪われてしまったら、もう生きていけない存在だよなということがパッと頭にうかんだんです。

 

その発想をもとにして作った短編映画だったんですけど、とりあえず応募してみようということでいろいろな映画祭に出したら、まさかまさかのSSFF&ASIAに入選してびっくりしました。

 

しかも東京の会場で上映されたんですけど、前田敦子さんの監督作、MEGUMIさんがプロデュースした『佐々木、イン、マイマイン』の内山拓也監督の作品とかと一緒のプログラムで。恐れ多いみたいな感じでビクビクしながら当日は会場に向かいました。

でも、上映はすごくいい時間になって、ほんとうにこのような形でみていただける機会ができてよかったなと思いました。

次の作品、今回の『折にふれて』に向けての原動力にもなりました。

 

――では改めて、京都芸術大学映画学科卒業制作作品となる『折にふれて』の企画はどのようにスタートしたのでしょう?まずは脚本作りだったと思うのですが。

 

うちの大学の場合、卒業制作作品も企画書を出して、学科の先生たちの選考によってえらばれるんですね。なので、まずその選考会に向けて脚本を書き始めたんですけど、最初はあまり「こういうことを描きたい」みたいな明確なビジョンはありませんでした。

 

いろいろな要素がちょっとずつ集まってきて、ひとつの物語になっていったところがあります。はじめに発想された 要素は、大阪の淀川にクジラが舞い込んだニュースですかね。このニュースを前にしたとき、現実にこんなことが起きるんだと感じたんです。コロナ禍もそうでしたけど、現実の方がフィクションっぽいというか。そういうことが立て続けに起こっているなと感じました。その後から「家の中にいるのにいないような、いないのにいるような存在の家族がいる」「その家族と日の沈まないまちで出会う」というふたつの軸が生まれ、 クジラが川に迷い込むシーンなどいろんな要素がいくつか重なりながら、ストーリーラインができていきました。

©村田組2023

――主人公は、もう少し経つと実家を出ることになる、ふみ。別の町で一人暮らしをしながら働くことを決めた彼女だが、父と10年間部屋に閉じこもったままの兄むっちゃんをこのまま残して家を出ていいものか思い悩んでいる。そんな微妙な立場にいるふみを取り巻く世界と彼女の胸の内が、日の沈まない町という日常から離れた世界と、現実の世界を往来しながら繊細に描かれて行きます。

ひきこもりの問題などに関心があったり、たとえば自身で経験があったりということがあったのでしょうか?

 

いえ、実はなくて、わたしはひとりっ子で兄もいません。ヤングケアラーの話を考えたことはあったのですが、あまりそういった直接的なことから出たことではないです。

 

構想を練っていたときに、コミュニケーションについて考えたといいますか。いま、たとえば人づきあいが難しかったり、人と話すことが苦手だったり、あるいはハラスメントの問題など、同じ空間にいる人同士のコミュニケーションがすごく難しいことになっているような気がしたんです。いろいろな場面でディスコミュニケーションが起きてしまっている。

 

そこで同じ空間にいる人同士のディスコミュニケーションについて描けないかと考えました。

それとコミュニケーションについていうと、わたしの中で、音を使ってのコミュニケーションを映画で表現してみたい気持ちがありました。音と音を使ってある人とある人が意思疎通をはかったことがわかるようなことが描けたらいいなと。

 

それが、部屋の壁をひとつ隔てただけなのにコミュニケーションをとることができない、逆に壁越しだけど、どうにかしてこちらの思いを伝えようとするといった、ふみの家族のシチュエーションにつながっていったところもあると思います。

 

では、なぜコミュニケーションに目が向いたかというと、わたしたちの代というのはちょうど大学に入学したとき、コロナ禍で講義がなかったんです。京都芸術大学に関しては授業開始が延期され、五月からまずオンラインで始まりました。対面での講義というのは夏休み明けの9月ぐらいからだったんです。わりと早く同期と実際に会うことはできたんですけど、それでもやはりオンラインでしかやりとりができなくてもどかしさを抱えたり、画面上では細かいニュアンスがなかなか伝わらなくて変な誤解が生まれてしまったりと、弊害はあったんですよね。

 

でも、そこを潜り抜けたからこそ、わたしたちの同期は対面になったとき、いままでコミュニケーションをとれなかったことから解放されて、なんか一気に結束して積極的にコミュニケーションをとるようになって、活発にやりとりをして次々と作品を作る世代になったんですよね。

マイナスからはじまったからそれを取り戻すようにコミュニケーションをとるようになった。その経験があったから、コミュニケーションに意識が向いたのかもしれません。後付けかもしれないんですけど。

 

――物語においてキーパーソンといっていいのが、10年以上ひきこもっていて家族ともまともにコミュニケーションをとれていない、ふみの兄、むっちゃんです。作品において深い部分にかかわるので詳細は伏せますが、彼のセクシュアリティをあのような形にしたことはなにか理由があったのでしょうか?

 

まずこのむっちゃん役については、誰にしようと考えたとき、真っ先にうかんだのが同期の俳優、豊山紗希でした。是が非でも彼女に演じてもらいたかった。そのことが第一にあります。

それから、ふみとむっちゃんは、日の沈まない町という幻想の世界に迷い込むことになる。

この日の沈まない町の世界では、ふみとむっちゃんの関係をフラットにしたかったんです。現実の世界に存在している隔たりを、日の沈まない町の世界においては、ふたりはすべてにおいて対等というか平等にしたかった。なので、あまり性別も兄と妹という間柄も関係ない、フラットに見えるようにむっちゃんをあのような設定にしました。

 

――では、キャストの名前が出たので、主人公のふみ役の本田朝希子はどのような形で?

 

朝希子ちゃんに関しては、企画を考えている段階から、一度一緒に作品に取り組んでみたい気持ちがありました。彼女も同期なんですけど、ほかの作品でお芝居しているところを何度かみて、いつか一緒にやりたいなと思っていたんです。で、ふみという人物がだんだんと見えてきたとき、朝希子ちゃんがいいのではないかと思って。途中からはあてがきでふみができていきました。

 

――さきほど音での表現という話が出ましたけど、確かにたとえば、ふみがむっちゃんの部屋の扉をノックすることがあることを象徴していたり、逆に無音が、その人物の不在を際立たせたりと、ひじょうに音にこだわられている気がしました。

 

わたしとしても音に関しては注目していただけたらうれしいポイントです。録音、音響ともに同期の浅野楓季が手掛けてくれて、かなりこだわって作ってくれました。

 

ただ、単に画面で起きていることを印象深いものにするとか、ある物音があったとしたらそれに何かをプラスして迫力あるものにするとか、そういうことだけではなくて、音の持つ力、音がどう映像を面白くするかをかなり自覚的に取り組んでくれました。

 

作品全体のことでお話しすると、音に関してはいろいろな音が入り混じってがちゃがちゃしているところから始まって、どんどん音が削ぎ落されていっていくシンプルな音になる構成になっている。それはふみの心がはじめ混乱しているのだけれど、だんだんと整理がついていく過程になぞられています。

こういった試みをしているので、ぜひ音には注目してほしいです。

©村田組2023

 

――では、今回の入選の報せを受けたときの感想は?

 

第一声としてはうれしかったです。『水魚の交わり』でSSFF&ASIA2022に参加したときに、やはり映画っていろいろな方に見てもらってどんどん磨かれていくものなんだなぁと実感したんですね。よく言われることですけど、監督の手から離れて観客のものになって完成するというのは、ほんとうだなと。

 

映画ってその人にとって大切なものになって思い出の場所のようになるときがある。一本の映画が人と人をつなげたり、その人の心の支えになることがある。それはまた作り手の作品を作る喜びや次へ向けてのモチベーションにもつながっていく。そういうことをなにか感じられる機会になったんです。

 

だから、『折にふれて』が完成したときに学内の上映で終わるのではなくて、どんどん外へ出ていってくれたらなぁと思っていました。まずは、そういう場がひとつできた。しかもSKIPシティという大きな場で上映する機会をいただけて光栄です。この上映をきっかけに一人でも多くの方に届いてくれたらと思っています。

 

――ここからは、ご自身のキャリアについて聞きたいのですが、すでにお話しに出てきたように京都芸術大学映画学科出身で。大学に入る前の段階から映画作りを目指していたのかと思うのですが?

 

それがそうでもなくて(笑)。子どものころから映画をずっと見てきたというわけでもないんです。実は大学進学の時点で、映画監督を目指し始めたんです。

 

わたしは大学付属の高校に通っていたのですが、同校を選んだのは強豪の吹奏楽部があったから。吹奏楽部に入りたくてその高校に入学しました。だから、ほとんどの子はそのままエスカレータ式でその高校の付属する大学に行くことになるんですけど、わたしはその高校の吹奏楽部が目標だったので、あまり大学には興味がありませんでした。

 

で、いよいよ進路を考えなければならなくなったとき、どうせ行くならば本気で自分が取り組めることを学べる大学がいいなと思って、先生に相談したんです。「どこかユニークな学びのある場がある大学はないか」と。そこで紹介されたのが当時はまだ京都造形大学、現在の京都芸術大学映画学科だったんです。

 

そのとき楽観的なんですけど、「映画だったらなんか集団で制作するものだから、吹奏楽部 で経験してきたことにもどこかつながるからいいかも」と思ったんです。「まあ本を読むこともお好きだし、映画もたまに見に行くし、なにかしらできるのではないか」と。

ということで京都芸術大学のオープンキャンパスに行ってみることにしました。そこで初めて映画のワークショップに参加したんですけど、自由な発想でいろいろと物事を考えることができておもしろい。その日を境に、ちょっと意識して映画を見るようになったら、すっかり映画にはまってしまったんです。

 

そのあと、学園祭にいったときに、学生の自主映画を見たのも衝撃で。それまで商業映画しかみたことがなかったので、こういう自身の頭の中にあることを描いたり、学生だけでも映画を作ることができるんだとすごく刺激を受けて、ちょっと自分も挑戦したい気持ちになっていきました。

それで迷うことなく京都芸術大学を受験して、無事入学することができました。

 

――吹奏楽部ということで音楽を続ける選択肢はなかったんですか?

 

全国大会に行くような強豪吹奏楽部だったので、周りが凄すぎて自分はもう太刀打ちできない感じで、まずはこの部でやれることをやり切ろうと思っていました。

それからこの部の環境で音楽をするのが好きだったので、それをほかの環境でやろうとは思わなかったし、やれるとも思っていませんでした。なので、それよりはなにか新しいことを始めたい気持ちがあって、それが映画につながった感じです。

 

――今回、初の長編映画を作り終えたわけですけど、どういった経験になりましたか?

 

そうですね。企画を考えることと、撮影することと、ポスプロの作業と、全部が微妙に使う能力が違っていて、それはそれで大変なんですけど、逆に微妙に違うことを一貫してできる面白さもある。改めて映画作りって楽しいなと思いました。まだ次は決まっていないんですけど、映画をこれからも作り続けていきたいです。

 

――京都芸術大学映画学科の卒業生で活躍されている俳優、映画監督がいっぱいいらっしゃいますよね?

 

いまはどこにいってもみなさん言ってくださいます。『京都芸術大学映画学科出身ですか、いますごく活躍されている方がいっぱいいらっしゃいますよね』と。

 

――いまだと朝ドラ『虎に翼』に出演している土居志央梨さんや上川周作さん、監督だと工藤梨穂さんや、本映画祭の国内長編コンペに入選している『雨の方舟』の瀬浪歌央さんなど、ほんとうに続々と新たな才能が現れています。

 

同じ大学の先輩たちの活躍はとても励みになります。実はいま勤めて いる会社には京都芸術大学出身の俳優で監督としても活躍されている辻凪子さんも所属されていて、「どこかで一緒に映画を作りたいね」と話しています。

そういった話ができる同期や先輩がいることは心強いですし、現在活躍されている諸先輩たちに続けるようにわたしも頑張っていきたいです。

 

『折にふれて』作品詳細

 

取材・写真・文:水上賢治


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