ニュース
【インタビュー】『昨日の今日』新谷寛行監督
――『昨日の今日』は新谷監督にとって初の長編監督映画になります。聞くところによると、出演されている橋本美和さんと青山卓矢さんと共に始まった企画とのこと。その経緯を少し教えていただけますか?
まだコロナ禍にあった2020年の年の瀬に知り合いの監督に誘われて、演技のワークショップを開いたんです。そのときの参加者の中に青山さんと橋本さんがいらっしゃいました。隣人の中村役をお願いすることになる山下ケイジさんも参加してくださっていました。
その流れで青山さんと橋本さん、それぞれ主演で短編を1本ずつ作ったんです。そういったことでそのあと、「次は長編でご一緒したいですね」みたいな話をして、お二人が僕が脚本を書き上げるのを見守りながら気長にまってくれて、今回実現したという流れです。
――新谷監督としては、大勢の参加者がいたワークショップの中で青山さんと橋本さんに目がとまった?
そうですね。実は橋本さんは、映画関連の関係者の花見かなにかでお会いしたことがあって、お互い顔は知っていたんです。でも、彼女の演技をきちんとみたのはそのワークショップのときが初めてでした。で、ずば抜けて天才肌というか、ほんとうにすばらしくて、チャンスがあるなら一回ご一緒したいと思いました。
青山さんは常に淡々としているというか。ワークショップだと『絶対に売れてやる!』みたいなガツガツした感じが出てくるんですけど、青山さんはそういう雰囲気が微塵も出てこない。僕は青山さんのその雰囲気が好きで、なにか一緒にやれればなと思いました。
――青山さんと橋本さん、それぞれと短編を作って、さらに一緒にやってみたいということで次は長編へとなった。
それで意気投合してまず短編を作ったんですけど……。どちらの短編もあまり映画祭に通らなかった。思うような結果が得られず、ちょっとこのままでは二人には申し訳ない。同じころ、自分の中で「次は長編」という意識があったので、そこでもう一度、青山さんと橋本さんと組んで、今度こそいい結果を得られればなと思いました。
――お二人が長く待っておられた脚本のアイデアはどのようなところから生まれてきたのでしょう?
青山さんと橋本さんに関しては、ほぼあてがきです。あと、山下さんに関してもそうですね。
ただ、けっこう難産で書き上げるのに1年ぐらいかかりました。
アイデアはいろいろなところから引っ張ってきていて。大きいところで言うと、たとえば作品の舞台となる一軒家がありますけど、あの家はプロデューサーの自宅兼事務所で。提供してくれるというので、それだと予算も抑制できてありがたい。「密室劇みたいな形にするのでこの家で撮らせてください」ということになったんです。
これまでもともとロケでの撮影をあまりせず、たとえば床屋をといった1つの場所を舞台にした作品が多かったので、今回もこの家を拝借できるならじゃあということである家を舞台に、それこそ舞台化できるような物語を考えられればなと思いました。
あと、自分はたとえば「この家が舞台」とか「ある一日」とか、なにか限定されたり、しばりがあると、そこからいろいろなアイデアが浮かんできて物語が書けるところがありまして。今回もそういう感じでした。
©昨日の今日
――物語は、雄一と紀美子の夫婦が数十年ぶりの流星群が現れる日に知り合いを招いてバーベキューパーティを開くことになる。その会には夫婦の高校生の娘、結衣、彼女の大親友の楓、紀美子のはとこ・辰彦と同僚の澤田、隣人の中村が集うことに。ちょっとしたいざこざはありながらも、和やかなムードでパーティーは進んでいきます。ところがだんだん会は暗雲が垂れ込めて、思いもしない人間関係のほつれが露呈していきます。
タイトル通りに、昨日と今日の2日間の話なんですけど、実は当初、最初の1日だけの物語だったんです。バーベキューパーティにいろいろな人が集って、ゆるい時間が流れる中で、どこからかいとこの辰彦が現れて、ちょっと波風が立ち始めていろいろな人間模様がみえてくるといった物語にする予定でした。
でも、改めて読み直したときに、全然パンチがないなと。どこか破綻している箇所があってもいいから、見てくださった方が「あっ」となにか驚いたり、予想もしなかったり、なにか裏切ったりするものじゃないと面白くないと思ったんです。
自分もこれまでいろいろな映画を見てきましたけど、そういう要素がないと印象に残らない。映画館に行ってみようと思わないだろうと。
それでこう急遽、2日目を書くことにしたんです。それで詳細明かせないんですけど、ああいう展開になったんですよね。
――おっしゃる通りで、流星群を楽しむためのホームパーティが終わった翌日に、話が一変します。コメディからホラーに変化するぐらい大変貌を遂げます。ただ、奇をてらった感じではなく、いまの時代、このようなことが起きてもおかしくないという急展開になります。
いまの社会は、ネットが最たるところですけど、相手の顔がまったくみえないところがある。実際に会ったことはないのだけれど、信用するとか、実際に会って話したこともないのに否定したりとか。
相手の顔が見えない=他人事みたいな感覚になって、たとえば特殊詐欺や闇バイトにあまり罪の意識もなく手を出してしまう。
ただ、された側からするとたぶん気持ち悪さがずっと残る。まったく顔の知らない誰かに見られているのではないか、自分のことを知られているのではないかという恐怖はそう簡単に消えないのではないかと思います。
いまの社会をみていて自分が感じたことが、後半には表れているのかなと思います。
――登場人物のいずれもが匿名性がありながらもそれぞれにきちんとカラーがあって、キャラクターが立っている。中でも、青山さんが演じられた辰彦はとらえどころがないといいますか。ちょっと何を考えているかわからない。物腰は柔らかいけども、負のオーラのようなものがあって人を寄せつけないところがある。青山さんを想定しての役だったということですが?
いま思いだせないんですけど、ある不思議な人物がふいにある家に入り込んで、なんらかの影響を与えて、そして去っていく。そういう本があって、辰彦はそういう人物をイメージしました。また、そういう一人の来訪者がやってくることで、家族関係だったり、友人関係だったりというのが大きく変わっていくような物語を描きたい気持ちもありました。たとえば傍から見ると何の問題もないような家族が、ある人物の登場で、本心が露わになるといったようなことを。
で、辰彦に関していうと、その人物の偽善や怠慢を勝手に炙り出してしまうような人間として存在してほしかった。なにか言葉で追求されるわけじゃないけれども、気づいたら自分の本音をいってしまう、そういう人がたまにいるじゃないですか。そのような人物として立ってほしかった。
で、青山さんならそういう人物にぴたっとはまってくれると思ったんです。本人はそう言われるのを嫌がると思うんですけど、青山さんはすごく目鼻立ちが整っている。でも、整いすぎていてマネキン人形やロボットのようにも見えてくるところがある。その得体の知らなさを存分に発揮してもらえばなと思いました。実際、僕の求めていたことを体現してくれて辰彦をちょっと異質の人物にしてくれたと思います。
実際の青山さんはすごくエモーショナルで人間くさい人なんですけどね。
©昨日の今日
――橋本さんが演じられた紀美子はちょっと陰のある女性で。実は彼女の勘違いがすべてのミスリードの始まりになったりします。
自分の中でも紀美子は重要な役で。彼女の存在や行為、胸の内がドラマを意表をついた方向へ進ませるところがある。そのことをあまり匂わせすぎてもいけないし、かといってまったく匂わないのもダメ。精神的に不安定なところにいる人物でもあり、微妙な匙加減の必要な役柄だったと思います。
でも、そこはさすが天才肌の橋本さんできっちり色分けしながら演じ切ってくれました。瞬間的にスイッチが入ったり、逆にオフにしたり、切り替えができる役者さんなので、きっと橋本さんならば大丈夫と思っていたんですけど、その通りでしたね。
はっきり言うと紀美子はほとんど僕の演出やアドバイスは入っていません。橋本さんにほぼ丸投げでお任せしてしまいました。それぐらい完璧でした。
あと、念のために言っておくと、紀美子はどこかいつも憂鬱な感じでけだるい雰囲気を漂わせて口数も少ない感じですけど、橋本さんご本人はまったくそんなことはなくて。僕も彼女の関西人で話し出したらとまらない。明るくてよく喋る人です。
――では、受賞の報せを受けたときの感想は?
実は、初めて監督した2015年の短編映画『カミソリ』も、SKIPシティに応募しようと思っていたんです。でも、SKIPシティの短編部門の対象作品が15分以上で、そこに満たない長さだったので応募できなかったんです。
常にどこか自分の視野に入っていたところがあったので、今回、入選の報せを受けたときは光栄でしたし、純粋に嬉しかったです。
なにはともあれと、青山さんと橋本さんにご連絡して報告しました。二人ともすごく喜んでくれました。
正直なことを言うと、僕個人としてはこの作品がなににもひっかからなかったら、ヤバい。一生、映画は撮れなくなるかもしれないと思っていたんですよ。
プロデューサーは前向きで、字幕もつけてくれて、SKIPシティがダメでも海外の映画祭を当たっていこうみたいな感じだったんですけど、僕としてはまずはSKIPシティからの吉報を待っていたところがありました。だから、うれしかったと同時に一安心したところもありましたね。
あと、作り手としては最高の環境のスクリーンで、スタッフとキャストが一丸となって取り組んだ作品をみなさんにみていただくことがなによりの喜び。また作品を通して、役者さんたちやスタッフの名前を知ってもらえたら、これ以上うれしいことはない。
ほんとうにこのような上映する場をいただけたことに感謝しています。
――ご自身としては、映画祭をどういう場にしたいですか?
まだ長編映画を1本、ようやく完成させた身なので、ここからがほんとうのスタート。SKIPシティの映画祭から、監督としての一歩が始まるのかなと思っています。だから、いろいろな人と出会って、いいご縁ができればと思っています。
――ここからが始まりということですが、そもそも映画の道に進むことに決めたきっかけはあったのでしょうか?
映画は昔から好きで。
映画を見るようになると、だんだんとなにか自分もと思い始める。そこで真似事ですけど脚本らしきものを書くようになっていました。
そのような感じでのちのち映画を作ってみたい気持ちはうっすらとあったんですけど、大学や専門学校で映画を学ぶということはあまり自分には向いていない。じゃあ、どういうルートをいけば作れるのかと考えたんですけど、よくわからない。とりあえず手に職じゃないですけど、技術を身に着けておいた方がいいのかなと思ったんです。
いずれ映画を作るにせよ、性格上、きちんと技術を身に着けて自分に自信がついてからじゃないと踏み出せないなと思って。そこで大学卒業後に、とりあえず映像業界で働くことにしました。ほんとうに根拠のない自信なんですけど、表現することは得意で、技術さえマスターすればなんとかなると思っていたんですよね。
それで映像制作の会社に入って、たとえば結婚式の映像の編集とか、現場のADの仕事とかして一通りの映像制作の一通りの技術を体得していきました。その間、書くのも引き続き好きだったので、並行して脚本も書き続けていました。
で、20代から映像業界に入って、そんな都合のいいことはないと今は思うんですけど、当時はある程度の年齢になったら周囲も一本立ちしたディレクターのように見てくれて、「映画を作ってみては?」みたいな声がかかると思っていたんですよね。
そうしたら、そんな声はいつまで経ってもかからない(笑)。そこで「いや自分で動かないと何も始まらないぞ」とようやく気付きました。
そこで今から10年ぐらい前になりますけど、思い立って初めて短編映画『カミソリ』を作ったんです。職場の近くに自主映画を作っている人がいたので協力してもらって、主演は自分で。
それが35歳のときですから、けっこうお尻に火がつくまで、重い腰が上がらなかったんですよね。
取材・写真・文:水上賢治