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【デイリーニュース】Vol.09『別れ』ハサン・デミルタシュ監督 Q&A

世界の人々が平和に暮らすことができるよう私は映画監督になった

別れ』ハサン・デミルタシュ監督

 

国際コンペティション部門の『別れ』は、オスマン帝国滅亡後、今日まで続くトルコ・クルド紛争を背景に、1990年代のトルコ東部に暮らすクルド人一家を描いた作品。映画祭開催地である川口市周辺にはクルド人が多いことからも、観客の関心は高く、次々と質問があがった。

 

トルコ東部の山間部、クルドの村マルディンで、馬や牛、鳥たちとともに静かに暮らす年老いたハミットと息子一家。5年前に他界した妻の墓参りを日課とするハミットは、ある日、軍によって、村を去るか、軍につくかの選択を迫られ、平穏だった生活が一変する。

 

ハサン・デミルタシュは、初の長編ドキュメンタリーで高い評価を得て、キャリアをスタートさせた映画監督。しかし本作は、ドキュメンタリーではなく長編劇映画だ。

 

「これは強制移住の際に、祖母の骨を持っていけなかった私の祖父の物語なのです。映画として描くことのできる範囲を広げたかったので、ドキュメンタリーではなく、フィクションにしました」と語る。祖父の物語ということは、つまり本作に登場する孫は、デミルタシュ監督自身なのだ。

 

90年代のトルコでは、クルド語を話すことが禁じられていた。しかし、イスタンブールに移住した当時のデミルタシュ監督は、一切トルコ語を話すことができなかった。一刻も早く言葉を身につけさせたいと祈る監督のおかあさんは、枕の下にトルコ語の本を置き、寝ている間に覚えられるように祈ってくれたという。

 

「90年代、4万人以上のクルド人が住んでいた場所を追われ、移住を強制されました。当時はクルド語を話したために捕らえられたり、殺されたりすることもあったそうです。現在のトルコ政府は、それを過ちだと認め、クルド語のテレビチャンネルもできました」

 

クルド人のなかには軍に参加した人もいたという。だが、ほとんどが追われることを受け入れた。その理由を、「山や動物のケアを仕事にしていたクルド人は、銃を扱えないし、扱いたくなかった」のだと語るデミルタシュ監督。「私たちは自然と寄り添って生きてきた民族なのです」。そんなデミルタシュ監督は、自身を「伝書鳩」だといいます。

 

「現在でも、トルコの東部と西部の文化は大きく異なります。例えば、クルド語がヨーロッパ言語で、トルコ語がアジア言語であるように。私は、自分の役目を、そんな異なる文化を結ぶ、伝書鳩なのだと思っています。世界の人々が平和に暮らすことができるよう、私は映画監督になったともいえます」

 

別れ』の次回上映は7月18日(木)17時から映像ホールで行われ、ゲストによるQ&Aも予定されている。オンライン配信は7月20日(土)10時から7月24日(水)23時まで。

 

取材・構成:関口裕子 撮影:松村薫


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