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【インタビュー】『冬支度』伊藤優気監督

――もともとは樹木希林さんの著書を読まれて俳優を目指して上京したとのこと。そこから少しお話しを伺えますか?

 

自分で言うのもなんなのですが、けっこう高校では勉強を頑張っていて大学進学に備えていたんです。ただ、いざどの大学を志望するか選択しなければならなくなったときに、自分が一生打ち込める仕事をしたいと思い始めました。でも、その対象となる仕事がまったくみつかっていなかった。見当もつかないでいました。

 

そのときに本が好きでいろいろと読んでいたんですけど、たまたま希林さんの著書を手にして、もう感化されて衝動的に役者の世界に飛び込んでみたいと思ってしまったんですよね。

 

――それで上京された。

 

はい。大学進学を辞めて、俳優を目指して上京しました。2019年のことです。高校の先生や友人からも「お前はなにを考えているんだ」と言われました(苦笑)。ちなみに地元は今回の映画の舞台になっている長野県伊那市です。

 

――そこからまずは役者として活動を?

 

俳優養成所に入って1年間みっちり演技を学び、そのあと、俳優として本格的に活動を始めました。

 

――そのように役者として活動する中で、映画に関わるようになり、徐々に制作にも携わりたいと思い、独学で脚本制作を学びはじめていった?

 

そうですね。俳優をしながら映画作りを志すようになったことは確かなんですけど、実のところ、今回、監督をすることになったのはかなり偶然といいますか。当初、僕が監督をする予定はまったくなかったんです。

 

そもそもの始まりを説明しますと、昨年のSKIPシティの映画祭に、今回の『冬支度』の主演の一人である仲野修太朗さんが出演されていた『十年とちょっと+1日』が国内コンペティションの長編部門にノミネートされて。映画祭に参加された修太朗さんが「自分でも1本映画を作ってSKIPシティに応募したい」と思ったみたいで、それで「一緒にやらないか」と僕と『冬支度』のもう一人の主演の石川啓介さんに声をかけてくださったんです。これが今回の企画の出発点だったんです。三人集まってとりあえず映画を作ろうみたいなノリで始まったんです(笑)。

 

修太朗さんと啓介さんは僕より少し年上なんですけど、あるワークショップで一緒になって、波長が合ったのか、以後も会うようになって。気づいたら親しい間柄になっていました。そこでいろいろと話すようになって、僕が独学で勉強して脚本を書いていることを伝えていました。そのことがたぶん修太朗さんの頭に入っていて、「ちょっと脚本を書いてみてくれないか」と声をかけてくれたんだと思います。

 

だから、最初の段階で決まっていたのは、僕が脚本を担当して、修太朗さんと啓介さんが主演を務めることだけ。監督は誰かに依頼しようと考えていました。ただ、スケジュールや予算面で折り合いがつかなくなって、「優気やってみる?」と言われて、僕が監督をお引き受けした次第です。

 

――なるほど。よく引き受けましたね。

 

映画監督をやったことがなかったので右も左もわかりませんでした。だから引き受けられたんだと思います。映画監督の仕事がどういうものか把握していたらたぶん引き受けていなかったです。

 

というのもスケジュールが凄まじくて。企画が始動したのが去年の8月で、脚本を書き上げたのがクランクイン直前で、長野での撮影が11月、東京での撮影が12月。年末からポスプロ作業に入って、SKIPシティへ応募するのが最大の目標でしたから、締切の3月1日までに完成させなくてはならなかった。もし一度でも監督を経験していたら、無謀すぎるスケジュールであることがわかるから引き受けられなかったと思います。

 

あと、これも裏話になるんですけど、当初は長編ではなくて短編を想定していたんです。もう少しシンプルでコンパクトに作れるものを考えていたのですが修太郎さんや啓介さんから優気が撮りたいものを撮ろう、とおっしゃっていただき、好きなものを撮っているうちに長編に変わっていったんです

だから、よくこの短いスケジュールで撮り切って、映画を完成させたなと我ながら思います。

――作品は、長野の田舎町が舞台。建と明は幼いときからの付き合いで常に行動を共にしてきた。建は農業に従事し、明は印刷業を営み、それぞれ地元に根差して生きている。ところが、建が自身の可能性に賭けたいと思ったときから、二人は別々の道を歩むことになっていきます。現代を生きる若者二人の友情と挫折、夢と厳しい現実、そして別離が丹念に描かれています。どのようなアイデアから生まれたのでしょうか?

 

自分が東京に出てきたときに考えたことと、大親友と呼べる友人がいるんですけど、彼と僕の話がベースになっています。僕は上京するとき、けっこう尖っていて、「こんな田舎でずっと暮らすことは考えられない」と刺激を求めて東京に出たところがありました。

 

ただ、少しして東京の荒波に揉まれて(苦笑)、親の偉大さに気付いたといいますか。地方に根差して家庭を築いて生きるということもすばらしいことだと思ったんです。地方で生きるすばらしさと、東京で生きるすばらしさ、どっちもあると思うようになっていました。

 

単純に比べられるものではなくて、どちらにもすばらしいところがあるし、どちらにも大変なところがある。そんなふうに受け止めるように心が変わっていたんです。

 

ただ、どうしても映画をはじめとした映像作品では、構図として、東京=上、地方=下みたいな形で描かれることが多い。ですから、自分としては対等であるといったことを根底に流れる物語にしたいと思いました。

 

東京で夢を追うことも間違いではないし、地元でしっかり生活を築いて生きていくことも間違いではない。そのようなことを背景に書き上げていったところがありました。

 

――詳細は伏せますが、建と明の人生は次第に明と暗に分かれていくことになってしまう。その中で、建の選択というのはいろいろと考えさせられることになります。そのあたりで考えたことはあったのでしょうか?

 

建の選択についてはいろいろと意見があると思います。何かできたのではないか、あの人のせいではないかとか考える人もいるかもしれません。

ただ、僕としては誰のせいでもない、残念ですけどこうなる運命以外になかった、といった形で描きたいと思いました。

 

それはなぜかというと、どうしても自分の力が及ぶ範囲であっても予期せぬことは起きてしまう。そのとき、どうしても建が選択したことを前にすると、原因の究明や誰が悪いのかといった犯人探しに力点がいってしまうところがある。もちろん原因を究明すべきなことはすべきだと思います。

 

でも、そこですべてを回収して「こいつが悪者だ」みたいな形にはしたくなかった。

 

そういう事態になったとき、自分はどう受け止めて、どのようにそのあと生きていくのか。今回の映画に関しては、そちらをきちんと描いて考えられるものにしたいと思いました。

 

――いくつか面白い表現の試みをしていらっしゃいます。まず、建と明が車の中で長い会話をするシーンがありますが、ここを無音にしていますね?

 

観客のみなさんに目撃者になってもらう形にしたいと考えていました。ですから車内から撮っているときはすぐそばにいるような音量、少しだけ離れていたらそれぐらいの音量と、微妙に変えています。

 

それからドキュメンタリータッチで撮るケン・ローチ監督をお手本にしたところがあります。彼の手法ですと、車の外から撮っていて、車内の音声がクリアに聞こえるのはおかしいとなる。

 

そういった考えを基にして、あの車内のシーンに関しては、かなり離れたところからのショットになる。あの位置からだと二人の会話は聴こえないとの判断で無音にしました。

 

ただ、きちんとセリフは用意していて、二人にはきちんと言葉のキャッチボールをしてもらっています。で、実は無音でいくと二人には伝えていなかったんです。もっと言うとスタッフにも伝えていませんでした。なので、映画が完成したときに、みんなびっくりしてました。「ここ音入ってないけど大丈夫?」と言われました(笑)。

――あと、建の机の上に中上健次の小説「十九歳の地図」が置かれています。これは?

 

僕が大好きな本の一冊です。この映画の描く世界であったり、建のその後を揶揄しているようなところもあるので、この本にしました。

――ハードスケジュールで大変だったと思うんですけど、なにか大きなトラブルは起きなかったんですか?

 

たぶんみなさんお気づきにあると思うんですけど、建の祖父が登場しないんですね。でも、実は登場する予定だったんです。俳優さんもちゃんと決めて、長野にお越しいただく算段もつけていました。

 

ところが交通事情で俳優さんが来れなくなってしまって……。

 

撮影スケジュールの都合上、もうおじいちゃんなしでシーンを成立させなくてはならなくなってしまった。で苦肉の策で、いまのような形のシーンで乗り切ったんですよね。

 

――あと、自身も俳優であるわけで、なにかで出演することは考えなかったんですか?

 

まったく考えなかったです。修太朗さんと啓介さんはほんとうにすばらしい俳優で尊敬しています。一方で、僕は自分が俳優としてまだまだ未熟ということを自覚しています。ですから、僕が修太朗さんと啓介さんと並ぶことで作品のクオリティが落ちることだけはあってはならない。そう思っていたので出演することはまったく考えなかったです。

 

ただ、ほんとうにスーパーエキストラで出ています。顔はほぼわからないので難しいと思いますが探してみてください。

 

――では、そのような苦労の末にできた初めての監督作品が入選。その報せを受けたときの心境は?

 

映画を見に行っていて、併設するカフェでお茶をしながら考え事をしていたときに入選のメールをいただいたんです。はじめは『嘘だろ。じいちゃんいないぞ』と信じられなかったです。ほんとうならすぐにでも修太朗さんと啓介さんに報告したかった。でも、なにかの間違いじゃないかと思って、ほんとうに入選しているのか何度も何度も文面を読み返して確認しました。で、間違っていないことを確信して、二人に連絡しました。二人ともすごく喜んでくれて、修太朗さんには当日会って、喜びを分かち合いました。

 

――映画祭への期待は?

 

昨年は一観客として参加していたのが、今度は監督としてその場に立つことになる。そのことがまだよくイメージできなくて落ち着かない毎日を過ごしています。現時点での自分のすべての力を注いで自分と言う人間をある意味さらけ出した作品になるので、どういう感想をいただけるのか楽しみな反面、ちょっと怖くもあります。

 

もちろん一人でも多くの方にみていただきたい。ただ、その中でも、建と明と同じような辛い経験をした人の心に刺さってくれたらうれしいです。建と明のような立場を経験したことのある人の心の痛みが少し和らいで、救われてくれたらうれしいです。

 

――では今後も監督を続けていきたい。

 

はい。

 

――目指す監督はいますか?

 

そのようになりたいというわけではないですけど、フェデリコ・フェリーニ監督や小津安二郎監督、ケン・ローチ監督や是枝裕和監督のような現実世界とフィクションの境目がぼやけているというか。そのような虚実がまじった作品を作っていきたいです。

映画館を出たときに、少し世界が違って見えるのが、僕にとってはいい映画の大きな要素。日常にちょっとした彩りを与えたり、元気づけられたりといった、その人の心を豊かにする作品を作っていきたいなと思います。

 

――監督業もですが、今後、俳優業の方も続けていきたい?

 

そうですね、続けていきたいと思っています。俳優としても監督としてもまだまだ未熟なんですけど、いつか自分の脚本で自分が主演を務めて自分が監督する映画を作ることがひとつの目標です。ジャスティン・チョンが監督・脚本・主演を務めた『ブルー・バイユー』みたいな映画を作りたいですね。

 

――『冬支度』は目標へ向けての第一歩ですね。

 

思いがけない形で監督を務めることになって、ほとんどのことが初体験でしたけど、自分にとっては何ものにもかえがたい大きな経験になりました。脚本がすべてではないことを実感する瞬間もあれば、現場に入っていろいろなアイデアが湧いてくることを実感する瞬間もありました。そういったことの一つ一つが次につながっていくと思います。クリエイティブ=モノづくりの醍醐味を改めて味わうこともできた現場でした。僕を信頼してくれて全面的に監督を任せてくれた修太朗さんと啓介さんにも感謝です。

 

『冬支度』作品詳細

 

取材・写真・文:水上賢治


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