ニュース
【デイリーニュース】vol.21 『私の影が消えた日』スダーデ・カダン監督 Q&A
戦争という状況下で生きる人間の日常を描きたかった
『私の影が消えた日』スダーデ・カダン監督
ジャパン・プレミアとなったスダーデ・カダン監督の『私の影が消えた日』の2回目の上映が行われた。1回目上映の際は、来日が間に合わなかったカダン監督も登壇し、タイトルの意味、そして映画のその後についても語ってくれた。
『私の影が消えた日』は、ドキュメンタリーを手掛けてきたスダーデ・カダン監督、初の劇映画。死と隣り合わせともいえる、内戦中のシリア市民の生活を“ダイレクト・シネマ(ドキュメンタリーの一形式)”のように描く。2018年のヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門でワールド・プレミアし、最優秀第一回監督作品賞を受賞。その後も、トロント、釜山、ロンドン、ロッテルダムなど主要映画祭で上映を重ねてきた。
息子に温かい食事を食べさせるため、母であるザナはガスの配給に並ぶが、ガスは行き渡らないまま、終了となる。ザナは、ガスを手に入れることができなかった人々とタクシーで隣町まで向かい、思いもよらない事態に巻き込まれる。内戦中のシリアの市民がおくる、途方もなく救いのない日常が提示される。
Q&Aではまずタイトルの“影”の意味についての質問があった。映画には、物理的に影のない人が登場するほか、美しい影絵のようなシーンや、原爆で人の影だけが遺った広島について話し合う場面が、インパクトのある形で描かれる。
「影の解釈は個人によって違っていいと思っていますし、正しい答えはありません。各国でいろいろな解釈があって、死を意味するとか、恐怖心がなくなったことを意味すると解釈する人もいました。私は2011年から脚本を書き始め、この映画を作るのに7年かかりました。その間、影のイメージを使うことで、いろいろ表現できることを発見したわけです。トラウマを感じていたり、ショックや恐怖心を感じている人間に何ができるのか? それについて描いてみたわけです」
シリアの政治的内紛の現状を描こうしたのか? それとも紛争を分析したいと思ったのか? と問われた時は、毅然と首を振った。
「私が言いたいのは、紛争の中にいる人間がどのような状態であるかということです。シリア紛争の状況や、どちらが政府軍でどちらで反乱軍とかではなく、戦争という状況の中で生きる人間の状態を描きたかったのです」
死が付きまとう日常を払しょくしたくても術がない市民。そのヒリヒリした暮らしぶりに、観る側も1時間半身をゆだねてみて欲しい。この映画はそういう映画なのだ。
「映画を撮影しているうちにシリアを追われてしまい、途中からベイルートでロケを行いました。キャスティングは、ベルリン、フランスで行いましたが、彼らは皆、シリアからの難民で、レバノンの難民キャンプにいたプロの俳優です。私はドキュメンタリーを手掛けてきましたので、劇映画を撮る時はどうしてもプロフェッショナルな俳優を使いたいと思っていました。それでも、譲れない条件は、戦争を経験しているということでした。そういう意味でも、今回の映画製作は私にとってとてもエモーショナルな経験でもありました」
特に印象的だったのは、ザナの息子を演じた少年。とても素晴らしい表現を見せた。
「彼はレバノンのパレスチナ難民キャンプで見つけました。当時、6歳だったのですが、そのキャンプが塩水しか使えないところだったこともあってか、最初は皮膚にじんましんのような症状が出ており、まるで90歳の老人のように見えました。でも、彼の明るい目が、ほかの誰にも変えがたかったのです。“お母さん役に似ていない”という指摘もありましたが、“(他国に出稼ぎに出ている)父親に似ていることにすればいい”と押し切って(笑)。実際には、彼はお母さんに育てられた経験があまりなかったため、4カ月間の撮影中、お母さんの存在を含め、やったことのないことをいろいろ経験しました。ある意味、幸せだったのではないかと思います。現在、彼はノルウェーで難民のステータスを得て、当時よりは安心して暮らせているようです」
最後に、ガスの配給にあぶれた人々が、ほかで手に入れる可能性を探している時、字幕に「ISのところならば」と出るのは間違いであると監督から訂正があったことを記しておきたい。実際は「Abu Abdoのところならば」と言っている。