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【デイリーニュース】 vol.16 『中国のゴッホ』 ハイボー・ユウ監督 Q&A
本物を目の当たりにした後、レプリカ職人が取った行動とは!?
『中国のゴッホ』のハイボー・ユウ監督
映画祭4日目、長編コンペティション部門1本目の上映は、複製絵画の世界シェアの半分を誇る油絵の街、大芬村(ダーフェン)で、ゴッホのレプリカを描き続ける男のドキュメンタリー『中国のゴッホ』。監督はハイボー・ユウと、キキ・ティエンチー・ユウ(ハイボー監督の娘)の二人。出稼ぎで深圳に出てきてから約20年。生計のためにゴッホの絵画のレプリカを描き続けてきた男とその家族が、オランダで本当のゴッホの絵に出合い、自分を見つめなおす姿を捉える。上映後には、共同監督の一人で、シュールリアリズム写真の先駆者でもあるハイボー・ユウ監督が登壇し、質問に答えた。
ユウ監督らが、ゴッホのレプリカを描く職人のドキュメンタリーを作ることになったのは、2005年に大芬村(ダーフェン)に行き、彼らの写真を撮ったことがきっかけだった。その後、この映画の主人公である職人ジャオ・シャオヨンさんと親交を結び、ドキュメンタリーを撮るに至る。
アーティストであるユウ監督が興味を持った点は、職人たちが皆、地方からの出稼ぎ者であったこと。絵を学んだ者はおらず、シャオヨンさんに至っては小卒だった。技術は毎日10時間描き続けることで習得した。彼らにとって絵を描くことは、なにより糧を得るための手段だった。
カメラは夫婦の寝室にまで入り込み、かなり込み入った家族の事情までつまびらかにする。こんな撮影はどうやって行ったのか? という問いに、監督は「カメラをセットして、我々は現場から去った。後日、編集する際に使用してもいいかどうか、彼らの承諾をもらった」と教えてくれた。
映画の後半、アムステルダムへ行き、本物のゴッホの絵を見て、俄然オリジナルの絵を描くことに目覚める場面がある。撮影を始めた当初、そんな展開を予測していたか? と聞かれ、「まったく想像していませんでした」と答えた。「むしろオランダに行って販売価格を見て(卸値の約10倍)ショックを受けるんじゃないかと心配していました。それに原画を見たら、興奮してしまうのではないかと。実際は、静かに衝撃を受けたようで、ご覧の通り、村に戻ってオリジナル作品を作るようになりました」。
彼らは今、どうしているのか? 誰もが思うその問いに、「この映画が作られたことで、彼の知名度はあがり、レプリカに加え、オリジナルも売れるようになった。生活も改善されたようなので、もっとオリジナル作品を作りに励むのではないかと思います」と監督。
「状況を大きく変える……。これもドキュメンタリー映画の役割のひとつなのかもしれません」と司会者の結びの言葉に皆がうなづく。『中国のゴッホ』は次回、7月22日(土)の17時から、映像ホールで上映が行われる。Q&Aには再度、ハイボー・ユウ監督が登壇予定。